クラシックカメラから拡がる恋物語~前編

Mamiya6&NeopanSS|Copyright (C) Kazuo Yamamoto

恋というのは、
せめて40代の前半までだと、思い込んでいた。
それが違うかな?って思ったのは、
友人の母親を見てからだ。

友人の両親を仮に幸子と一郎と呼ぶ。
幸子さんは80歳に手が届く。
夫の一郎さんは昨年亡くなった。
彼は放蕩の限りを尽くし、
と言っても女や博打ではない。
登山や旅行、高価な本の購入、
当時かなり高かったであろうカメラや写真、
真空管のステレオやレコードの収集等、
およそ家一軒分くらいの財を、それらに費やした。

一郎さんが天に召されて、クラシックカメラが残った。

Mamiya6face|Copyright (C) Kazuo Yamamoto

半世紀以上前の冬、
一郎さんは登山の途中、暑寒別岳の西尾根で遭難した。
まだゴアテックスもない時代、
あらゆる登山用具を燃やし、
天候の回復を待って下山し、一命を取り留める。
手の指は凍傷でやられ、爪の全てが剥げ落ちた。
その爪を幸子さんはまだ保存している。

燃やせるもので暖をとり、春同じルートを登ったら、
置いていったカメラが残っていた。
mamiya6、そのカメラがこれなのだ。

NeopanSS|Copyright (C) Kazuo Yamamoto

写真をやっている俺に、このカメラが使えるか、
幸子さんから尋ねられ、全く見たこともないので、
写真仲間に教えてもらっているうちに、
撮り終ったブローニー版のモノクロフィルムが、
入っていたのだった。
彼女によると、52年前のフィルムらしい。
半世紀以上前!俺の両親も出会ってない時代だ。
そのフィルムを現像してみましょうと幸子さんに提案した。

フィルムがあることだけで幸子さんは喜んでいた。
そして、現像、紙焼きを頼んだ。
それから、どんな写真が上がってくるか、
80手前の幸子さんはそわそわしている。
まるで、少女のように。

50年以上連れ添って、幸子さんの教職員の給与の、
そのほとんどを一郎さんは浪費した。
それでも、この世にいなくなってもまだ恋してる。
俺は、ただ感動した。

そして、半世紀以上前のフィルムに、
何か写っていて欲しいと願っているのだった。

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